2020/8/20仕事

Story of 他人の財産を預かる

自分で決めるか天命を待つか。




コロナの影響で遠くに外出することもなく、自宅付近をうろうろとして遊ぶことが多くなりました。
行ったことない意外なスポットや自分が幼少期には遊ばなかった近くの川で遊んでみたり、最近おいしいジェラート屋さんができたりと案外楽しめています。

近場に新しい発見を得られたのは、怪我の功名でしょうか。



さて、今日は後見についてのお話しを。
実を言うと、ここのところ任意後見人に就任するのは避けてきました。
制度の都合上、多くの場合親族が後見人になった方が良いケースばかりだったからです。
また、人間なので相性もあります。

後見について誤った知識が蔓延しており、トラブルになるケースも多いので十分に理解してから制度利用を考えるべきなため、どうしてもこちらもちょっと慎重になります。


しかし、今回ばかりは別。
ご主人の相続で昨年関わらせていただいたお客様からのご依頼でした。
90歳を超えるご高齢のおばあ様が一人暮らし。
お住まいは1階が賃貸、2階が居宅になっており階段が凄く急で、見てるだけでも心配。
しかも、ご家族は皆海外在住。

万が一のことがあってからでは大変ということで、ケアマネージャーさんに勧められて任意後見を決めたそうです。
それじゃあ信用できる人を、ということで有難いことに依頼してくれたということのようです。

これはやらなくてはならない仕事と判断し、二つ返事でお受けしました。
すぐに公正証書の作成に取り掛かり、先日、財産管理委任契約及び任意後見契約を締結させていただきました。



そもそも任意後見って何?

後見制度は認知症や精神疾患など、身体は元気でも頭や精神が適切な判断ができない方に対して有効な制度です。
認知症などで判断能力が落ちてしまった方のために、財産を代わりに管理し、契約などの法的な手続きを代理してくれる後見人という人を選びます。
また、後見制度には、任意後見と法定後見があります。


タイミング、やり方など他にも違いはありますが、簡単に分けると、任意後見は元気なうちに後見人を自分で選び、法定後見は認知症になった後に親族等からの申立てで裁判所に選んでもらう(候補者はこちらから提示できます)います。
前者の場合、つまり認知症や精神疾患になる前に準備する場合は任意後見で、後者の場合、認知症や精神疾患になってしまった以降は、法定後見になるという大まかな違いがあります。

要は、自分で信頼できる人を選ぶか、裁判所に信頼できそうな人を選んでもらうかです。
そんなわけで個人的には、いずれ法定後見をやらなくてはならないのであれば、自分で信頼できる人を選んだ方が良いのでは?と思っています。

そうは言っても、誰も自分が認知症になってしまうことを想像したくはないし、自分に限ってはと思うものです。
任意後見は、『転ばぬ先の杖』なのでなかなか実行される方は少ないのが実態です。

きっと任意後見を行う方は責任感が強く、周りを心配させたくない優しい方なんだろうなぁと思います。



任意後見には取消権がない?

ところで、任意後見は法定後見と異なり、本人が誤ってした契約を代理して取消すことができません。
例えば後見が開始した後に本人が誤って必要のない買い物や何らかの契約をしてしまっても、法定後見であれば後見人が自ら取り消しを主張することができます。
残念ながら、高齢者をだまして必要のないものを買わせようとする悪い人もいます。

個人的な意見では、後見における取消権は非常に重要な役割であり、任意後見人にも認めてもいいのでは?と思っています。
もっとも、取消権がなかったとしても、後見状態(重度の認知症)であれば意思能力不在による無効の主張は可能でしょうから、そちらで戦うことはできるのでしょう。
その辺が実務と法律論のずれで、取消権があれば裁判までいかなくても、大抵の場合取消ができると思いますが、意思無能力の主張は、個別具体的判断を伴うため、相手側が2つ返事で認めるとも思えず、結果裁判になりやすいと思います。
裁判になったら、契約を無効にできても、時間や費用が掛かるので結局泣き寝入りした方が良いという可能性も全然あり得ます。
そういう意味もあって、取消権は重要だと思っています。


任意後見は、自ら定めた代理人を選ぶ手続きなので、本人の意思をより尊重しようという趣旨だと思われます。
自分で自分の財産を管理する人を選ぶような人だから、認知症だろうが何だろうが自身の判断を優先させようと。

でも、それって逆のような気もしています。
自ら信用して任せたのであればこそ、取消権を付与すべきなような。
法定後見のように、本人の意思に関わらず付けられた後見人が自由に取消をできることが許されるのであれば、任意後見の方こそむしろもっと後見人の力が強くてもいいとも思いますが、どう思われますか?

多くの場合、法律は、AとB2つの権利のどちらをより保護すべきか迫られます。
こういうのを比較衡量と言いますが、全ての権利を守ることは当然できないので、必ずどこかで取捨選択を迫られるのです。

本人の意思を尊重したいけど、正しい判断ができない場合の救済措置も残しておきたい、この二つは相反するものだったわけです。
何でもかんでも取消されてしまっては、本人が可哀そうですから。
その結果この法律については、本人の意思の尊重を重視した結果になったのでしょうね。

法改正をバンバンやっていい、とまでは思いませんが、時代や環境によっても何を重視するかは変わってくるものなので、せめて10年に一度くらいは見直してもらいたいものです。(4月1日施行された民法の大改正はおよそ120年ぶり!!!)


ちょっと専門的な話になりすぎましたね。



意気込み



話を戻しますが、今回久しぶりの任意後見人就任(現時点ではお元気なので、財産管理委任契約の段階)ということで気合が入っております。

私には、後見人になる上での理念があります。
『ただ財産の管理や法的な手続きを行うだけではなく、本人がやりたいこと、楽しいと思えることを実現するためのお手伝いをすること。』

いくつになっても楽しいと思えることを考えて、実現することが人生の充実につながると考えています。


とにかく楽しく!かつ、本人に不利益がでないように頑張ります。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!!